ちまきアラカルト!~ちまきの由来~

ちまきは、餅(もち)菓子の一種です。古くはチガヤの葉で餅を巻いたところからこの名があるとされいます。

927年(延長5)に完成した『延喜式(えんぎしき)』に、「粽(ちまき)料糯米(もちごめ)石」と記載されているほか、934年(承平4)ごろの『倭名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)』にも、「菰(まこも)葉をもって米を包み、灰汁(あく)をもってちまきを煮る」と記されていて、奈良時代から平安時代前期にはちまきは存在した食物とされています。

それと、笹団子の由来にもあるように元々中国のちまきが転化して笹団子になったという位ですので、中国から伝わってきたものが、ちまきという見解も十分納得できます。現にちまきを食する国を調べてみると、東南アジアの各国で米を植物の葉に包んで蒸し焼きなどにして食べる習慣があるのをよく目にします。
皆様もTVのドキュメント番組なんかで見たことがある人もいるのではないでしょうか。

中国から伝わったちまきの歴史というのは、汨羅(べきら)の淵(ふち)に身を投じ、自らの命を断った楚(そ)の詩人屈原(くつげん)を悼み、屈原の姉はその淵に餅を投じて弔ったそうです。それから毎年その日には、竹筒に米を詰めて水中に投じ、慰霊祭を行ったともいいます。

日本でのちまきは、これを食することにより災厄疫病を逃れるという解釈に置き換えられてしまったようでが、こう言った中国から伝わるちまきの歴史もあります。
またこれが5月5日にあたることから、ちまきが端午の節句に食べられるようになったといういい伝えもあるそうです。

日本では笹団子と同じ様に、武士が戦へ向うときにちまきを携帯食としてもって出たともいわれています。殺菌・抗菌・防腐作用があるため、保存食としても優れています。

やはり晴れの日端午の節句にちまきと笹団子が食べられてきたことが、日本で伝わるちまきの歴史だと考えられます。